『寄生獣 完結編』感想、人間とは?殺すとは?生きるとは?愛とは?守るとは?涙とは?[ネタバレなし]
『シンデレラ』の影でまさかの6位スタートとなった『寄生獣 完結編』、普通にお金払って見てきましたが素晴らしいではありませんか。前編に負けず劣らずどころか、しっかり前編の上に立つ堂々の完結編でありました。
□スコア
◯私的満足度
★★★★★(4.5/5)
=堂々の完結編、人間の存在意義と愛の物語
◯ファミリーオススメ度
★★☆☆☆(3/5)
=前編見てグロさ耐性あれば。無ければNG。
◯子供オススメ度
★★☆☆☆(3/5)
=上に同じ!
◯友人オススメ度
★★★☆☆(3/5)
=前編見て後編気になってるなら見てすっきりしましょう。
◯デートオススメ度
★★★★☆(4/5)
=何気に堂々の「愛の物語」です。
◯映画リピーターオススメ度
★★★★☆(4/5)
=山崎貴監督をこき下ろす映画ファンは多いですが、一映画として見応えありますよ。◯WATCHAでレビューをチェック&書いてみる
□感想、前編の上に成り立つ素晴らしき完結編
昨年11月に公開された『寄生獣』の2であり完結編である本作、『シンデレラ』の影に隠れまさかの6位スタートで「いくらなんでも低調すぎだろ」と思いましたが、作品はとても素晴らしかったですよ。前編のそのまんま続きですが、ただの後編ではなく、前編で築かれた世界観の上で前編の問いかけや問題や物語にしっかりと決着を付ける「後編」ではなく「完結編」になっていました。お見事です。
是非前編の『寄生獣』はご覧になられてから見たほうが良いでしょう。それは物語が前編の上に立つという意味はもちろんのこと、PG12でありながら相当グロいのでその辺の耐性チェックもみなさん自らすべきでしょう。
※PG12/R15の違いに「斬る際その瞬間を見せない、見せる」の違いがあります。この辺を見せないことでどんなにグロくてもPG12で済むという見事な計算演出が『寄生獣』及び『寄生獣 完結編』では成されているのです。(良し悪しは置いておきます)
今回私はただただ「続き気になるなら見るしか無いじゃん!」という理由で普通に劇場へ。そしたらオープニングから一瞬で引きこまれましてね。「素晴らしい・・・」、タイトルが出る前の力強さが素晴らしく思わずため息です。
そして物語は完結編として話を拡大しながらも一点の収束点へと進んでいきます。前編の問題が解決しておしまいではなく、そこからの一手、二手があってクライマックスが予想できなかったのも良かったです。
※書いててわかると思いますが私は原作もアニメも何も知らないです。そういう人間は本作を映画として普通に楽しむのです。
物語が進みながら、前編同様に「人間とは?」「寄生生物とは?」「悪いのは本当に寄生生物なのか?」「殺すとは?」「生きるとは?」「愛とは?」「守るとは?」「涙とは?」などスタンダードであり究極の質問を何度も私たち観客へぶつけてきます。
つまりこの映画は『寄生獣』の完結編であると同時に、私たちが自問自答し、自我そして人間という種族について問う映画でもあるのです。深い!
それぞれの答えは出る人もいれば、出ない人もいるでしょう。
私自身答えはほとんど出ないで脳内で様々な質問がぐるぐるしながら今もいるのですが、大げさではなく「心が通い合う、その"愛"は本当に素晴らしい」とこの完結編を見て思いました。
幸いなことに今私たちが生きる世界はこの『寄生獣』及び『寄生獣 完結編』の世界に比べて何倍も平和。そんな平和な世界をただ平凡に退屈に生きるのではなく、人間として生きなければならない以上は、少しでもその愛を持って、自分のためでもありつつ人のための人生を生きていきたいと改めて思いました。
だから、私にとって『寄生獣 完結編』とは、「面白かった!」や「つまらなかった!」ではなく、「私の人生の1ページを刻んでくれてありがとう。」というスタンスの映画です。
□どんな映画?
「永遠の0」の山崎貴監督が、岩明均の人気コミック「寄生獣」を実写映画化した2部作の後編。右手に寄生生物ミギーを宿した高校生・泉新一の暮らす東福山市は、広川市長を中心に組織化されたパラサイトたちが一大ネットワークを構築。寄生生物殲滅を目指す人間側も、対パラサイト特殊部隊を結成して奇襲作戦の準備を進めていた。一方、人間の子を産み、人間との共存を模索するパラサイト・田宮良子は、ミギーと共生する高校生・泉新一の存在に、その可能性を見出していたが、新一は母親を殺されたことをきっかけに寄生生物への憎しみを募らせていた。そんな彼らの前に、最強のパラサイト・後藤が現れる。
参照:http://eiga.com/movie/79556/
予告編
□前編の「慣れ」が起こすエンタメとしての魅力と考える余裕
繰り返しになりますが、私は『寄生獣』の原作もアニメも見ていないのです。ですので前編の『寄生獣』を見た時はミギーが気持ち悪いわ、寄生生物気持ち悪いわ、人喰いシーングロいは、高校襲撃シーングロいわ、でもう衝撃と疲労が半端無かったです。
しかし、それを劇場という逃げられない空間で見たことによってこの後編ではそれらを感じることは無くなりました。要は慣れました。
人の死体はとても残虐に思うのは変わりませんが、ミギーは可愛いし、寄生生物はまあ寄生生物だしと割り切って分裂シーン見れるし、戦闘シーンはエンタメとして楽しめるように。
つまり思考に余裕が生まれたわけですね。これがそのまま今回の完結編の満足度向上に繋がったのかなと思いました。
前編から未解決だった問題の数々が収束したと思ったらラスボス的なあの人が最強過ぎて、もう何か寄生生物なのにカッコいいし、その辺のエンタメ感がとても良いんですよね。
戦闘シーンだけでなく、カーチェイスっぽいシーンだったり、豪雨のシーンだったり、最終決着の焼却炉シーンだったり、視覚的な満足度も高いです。
前編の慣れが余裕を生み、「あれも良い」「これも良い」を生んでくれました。当然悪い部分を探す余裕ともなるので、ネガティブに見たらその辺もあれこれ出ることでしょう。
しかし私は前述の通り冒頭で心を掴まれています。「細けえことはまあいいんだよ!」で映画を楽しめました。
幸せもんです。
□種を問う映画としてのラブシーンの重要性
『寄生獣 完結編』ではラブシーンがあります。まあ要するに橋本愛の濡れ場です。胸こそ見せてませんが、下着シーンはありますし、背中は見えてますし、喘ぎもあります。
これは「橋本愛の濡れ場があんぞ!」という風に言っても大げさではなく、普通に魅力的なシーンです。
しかし、人間とは?を問うこの映画ではそのラブシーンにはドキドキするのではなく胸を締め付けられました。ちゃんとそのシーンには"愛"が宿っているんですよね。二人の心が通い合ってることがちゃんと伝わってくるのです。
人間という種が半永続的に存在するためには子孫繁栄が絶対的な命題であります。つまりセックスは必要。
それをエロ目線ではなく、人間の子孫繁栄と存在のための愛のあつ行為としてこの映画では見せてくれます。
美しき処女喪失シーンと言っても過言ではないですが、そこに宿る美しさに「人間は悪しき生物かもしれないけれど、全てがそうではないんじゃないかな?」が宿っているのです。
BUMP OF CHICKENの主題歌「コロニー」も愛を感じさせます。お見事。
□まとめ
そもそも「寄生獣」とは何なんでしょうね?これ完結編でしっかりと示されますね。
深津絵里演じる田宮が前編で見せなかった人間らしさもあって、本当に感情のジェットコースターに乗せられて答えが出ぬまま映画は終わり、今もあれこれ考えています。
映画の物語はしっかり完結しますのでそこは安心してくださいね。答えが出ないのは映画を通して自問したことです。
人間とは?
殺すとは?
生きるとは?
愛とは?
守るとは?
涙とは?
自問することは、考える事。
考える事は、悩むこと。
それでこそ人間。人間らしさ。人間特有。
人間として、人間らしく、考えたり、愛を持ったり、時に説明できないようなこともしながら、自分のため、人のために生きていこうと思います。
素晴らしい2作品でした。