映画『ブラッド・ダイヤモンド』紹介、ダイヤと国際紛争、それら問題を硬派に描く傑作[ネタバレなし]
□『ブラッド・ダイヤモンド』基本情報
タイトル=ブラッド・ダイヤモンド
原題
=BLOOD DIAMOND
監督
=エドワード・ズウィック
出演
=レオナルド・ディカプリオ
=ジェニファー・コネリー
=ジャイモン・フンスー
ストーリー
ダイヤの密売人であるダニー・アーチャー(レオナルド・ディカプリオ)は、 巨大なピンク・ダイヤを隠し持つソロモン(ジャイモン・フンスー)という男の存在を知る。 一方、ジャーナリストのマディー(ジェニファー・コネリ)は、 反政府組織“RUF”の資金源となっている“ブラッド・ダイヤモンド”の真相を探っていた……。
予告編
□硬派で"アメリカを感じない"傑作
『ラストサムライ』のエドワード・ズウィック監督、 主演はディカプリオ、脇を固めるジェニファー・コネリーとジャイモン・フンスー。 ハリウッドらしい大スケールながらハリウッドらしさを抑えた硬派な映画、 それが『ブラッド・ダイヤモンド』です。本作は同じくディカプリオ主演の『ディパーテッド』と公開時期がほぼ被っていたため日本ではそこまで話題にはなりませんでした。しかし私は本作は『ディパーテッド』よりも奥深く、そしてメッセージ性のある映画だと思います。
近年アフリカを題材にした映画は多くありますが、 本作には"アメリカ"が感じられません。 ディカプリオが主人公ですが、ディカプリオはアフリカの人間という設定になっており、アメリカ政府の介入やら何やらといったストーリーが一切ないからです。
それでいて前作『ラストサムライ』でも見せた熱い演出のエドワード・ズウィックが監督です。日本の再現こそ批判がありましたが、映画の物語としては素晴らしい『ラストサムライ』でしたので、 本作への期待は公開前から高まっていました。
結果は期待以上でした。やはり題材が変わろうが、異国を描くエドワード・ズウィックの演出は熱いものであり、感動がこみ上げる映画でした。
□現実の問題だからこそ残る"もやもや"
しかし『ラストサムライ』と違い、その感動にはもやもやが残りました。『ラストサムライ』は結局侍はいなくなり、今の文明社会へと繋がっていくというもの哀しくも美しい侍時代の終焉でしたが、本作が取り上げた紛争や論争は今でも続いているからです。映画の舞台はシエラレオネで、映画では今は平和になったと言っていますが、同時に多くの少年がアフリカ全体では兵士として未だに戦っているという記述が出てきます。
本作で観客の胸に傷を与える少年兵の描写、子供なのに銃を持ち、人を殺す演習をさせられる。それが今でも実際に残っているというのはとても心が痛むものです。本作はストーリーとしては感動を残しその延長線に現在の問題を認識させもやも残す、終わった後の爽快感はありませんでしたが、映画によってその問題が人の心に植えつけられたことは素晴らしいことだったと思います。
本作はアフリカの紛争ダイヤモンド、通称“ブラッド・ダイヤモンド”を取り上げた映画ですが、 ストーリーはフィクションです。 つまり、社会情勢や問題は再現し、その再現した空間の中にフィクションの人物を置いたのです。
100%フィクション、100%事実ではないのがポイントなんですよね。だからこそアメリカ国務省の批判を受けることにもなりました。
紛争ダイヤモンドの構図は、アフリカで奴隷の身となった人間がダイヤモンド採掘をさせられ、時に血も流し、下手すると殺される。そんな中集まったダイヤモンドが不正に流通し、それはヨーロッパやアメリカの市場に入ってくるということです。
私は専門家ではないので詳しくはわかりません。実際はもっと複雑だと思いますが、その構図をめぐって3人の人間の思惑が交錯していきます。
ディカプリオ演じるアーチャーは自分の自由のためにダイヤモンドを探す。
ジェニファー・コネリー演じるマディーは紛争ダイヤモンドの真実を追おうとする。
ジャイモン・フンスー演じるソロモンは家族との再会のためにダイヤモンドと関わる。
それが交錯する中で、表面では悪な空気を醸しだすアーチャーの心の描写が掘り下げられていきます。三者三様目的が違えど同じものを追うというドラマティックな展開、そして関わる中で生まれるドラマ、三人それぞれが迎える結末。
全ての目的が達成されたわけではない結末。真実の中のフィクション、脚本と演出の力が見事に働いたと思います。
重い題材をフィクションとの融合でわかりやすく描き、かつメッセージ性を失わないよう最初と最後はドキュメンタリー映画のようにテロップによる解説。うまい着地点であったと思います。
□奮闘するエドワード・ズウィックの製作チーム
エドワード・ズウィックは監督作品こそ多くないものの、『恋におちたシェイクスピア』でプロデューサーを務めるなど手腕を持った人です。彼のチームは大きな映画はお手の物という感じですね。『グローリー』然り、『ラストサムライ』然り、『ディファイアンス』然り、 本作もドラマ性の中にある大スケールのアクションシーンが見事でした。
『ラストサムライ』では終盤の合戦シーンの全体図が明らかにCGで少し気になりましたが、本作にはそういった部分はありません。 演出こそ監督の仕事ですが、大スケールの映画が完成度を高めるのはその監督の元に集まったスタッフの力の融合によって生み出されるものです。
この辺り毎回期待を裏切らないエドワード・ズウィックチームは素晴らしいなと思います。 またそんな映画を彩る音楽が切なく美しい。ジェームズニュートンハワードがエドワード・ズウィック作品を担当したのは本作が初めてですがうまかったですね。
次回作『ディファイアンス』でも組みましたのでエドワード・ズウィックも気に入ったのでしょうね。
そして俳優陣、特に主役3人が本当にお見事。 娯楽性を抑え、見事に演じました。 ディカプリオとジャイモン・フンスーはこれでアカデミー賞にノミネートです。 ディカプリオは主演男優賞、ジャイモン・フンスーは助演男優賞です。
ディカプリオはどの作品でも演技が素晴らしいですが、本作が最ものびのびしてるように思います。おそらく役柄として自由を求めているからでしょう。
『インセプション』や『アビエイター』も完璧な演技ですが、役柄上演技の幅に拘束がありますからね。ディカプリオが演じてきた全ての役柄の結末を考えても本作の役柄が迎えた結末が最も素晴らしかったと思います。本当にいい役者です。
□キスシーンなし!
本作はハリウッド映画お決まりのアレがないのです。アレがないからこそ映画は硬派なものに仕上がり、映画ファンもある種の失望を抱かずに済んだと思います。要するにキスシーンです。文化の違いもあるのでしょうが、「そこでキスシーンいらないだろ?」と思う映画って多くありませんか?
本作の終盤、アーチャーとマディーにはお互い好意があったと思います。 具体的には書かれていませんがそういった心理描写は読み取れます。 しかし映画の構成上という理由もありますが、本作にはキスシーンがありません。
最後まで貫かれたその姿勢は小さなことですが素晴らしかったと思います。 これができるのなら『ラストサムライ』もそうしてほしかったw
□日本人にとって他人事か?それとも・・・?
ダイヤモンドの問題だし、別に普段買わないしどうでも良いと思われる方もいるでしょう。 この映画はダイヤモンドに焦点を当ててますが、あらゆる輸入品において似た問題があるのではないでしょうか。俗にいう発展途上国において作られた、我々が普段口にしているものや使ってるものは誰のどんな手を介して今ここにあるのでしょうか。
そのチョコレートのカカオは平和な元に作られたでしょうか?
そのバナナはどうでしょうか?
そのスパイスはどうでしょうか?
ガソリンはどうでしょう?
そのプラスチックでできたカップはどうでしょう?
真実は全て明らかになりません。
ほとんどは大丈夫だと思いますが、我々が使用しているものに血が流れていない保証はありません。だからといって使わないという選択肢になるわけでもありません。
世の中には数えきれないほど多くの悲劇があるでしょう。 本作はその一片を描いただけ。そういった世界の問題を考えるきっかけになる映画でした。
だからといって「我々が何ができるか?」と言われると答えに詰まりますよね。 そんなジレンマはあるけれど、心で平和を願うということだけは忘れないようにしたいと思いました。
そしてアフリカの問題だけでなく、世界に溢れる諸問題へ、いつか何かしら取り組むことができたらなと思ってます。言ったからにはそうできるようにしないとね。
おしまい。