映画『レ・ミゼラブル』紹介、最高の感動がここに!素晴らしき映画がここに![ネタバレなし]
□『レ・ミゼラブル』基本情報
タイトル=レ・ミゼラブル
原題
=Les Miserables
製作年
=2012年
日本公開
=2012年
監督
=トム・フーパー
出演
=ヒュー・ジャックマン
=ラッセル・クロウ
=アン・ハサウェイ
=エディ・レッドメイン
=アマンダ・セイフライド
=サマンサ・バークス
ホームページ
=http://www.lesmiserables-movie.jp/
ストーリー
1815年、ジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)は、19年も刑務所にいたが仮釈放されることに。老司教の銀食器を盗むが、司教の慈悲に触れ改心する。1823年、工場主として成功を収め市長になった彼は、以前自分の工場で働いていて、娘を養うため極貧生活を送るファンテーヌ(アン・ハサウェイ)と知り合い、幼い娘の面倒を見ると約束。そんなある日、バルジャン逮捕の知らせを耳にした彼は、法廷で自分の正体を明かし再び追われることになってしまい……。
予告編
□「今年最高の感動」という宣伝は伊達ではなかった
2012年末の感想記事を修正してアップしてます。宣伝文句の「今年最高の感動を」まさにその通りでした。
"On my own"の歌から涙が流れ・・・
"One day more"に涙し震え・・・
フィナーレはただただ涙が溢れ・・・
この映画にこそ「日本よ、これが映画だ」と付けるべき今年屈指の傑作でした。
本作はミュージカル映画で初めて生歌収録で演じるという手法を取りました。
実際に歌ってる映像が使われ、口パク演技ではないのです。
息遣いや溢れる感情が伝わってきてそれがより心を掴みました。
あ、そうなんです。
事前情報入れてない方へお伝えしますと本作はミュージカル映画なのです。
ヴィクトル・ユーゴーの名著作『レ・ミゼラブル』がミュージカル舞台化され、
そのミュージカル舞台が舞台版も手がけたのキャメロン・マッキントッシュの製作と
『英国王のスピーチ』でアカデミー賞監督賞を受賞したトム・フーパーの監督の元
遂に映画化されたのです。
『シカゴ』や『オペラ座の怪人』などのミュージカル映画とは全く異なり、
本作は台詞周りの95%以上が歌です。驚くレベルで普通の台詞がありません。
なのでミュージカル映画が苦手な方は苦痛かもしれません。
ここは俗に言う"映画には好き嫌いがある"のでしょう。見る人を選びます。
それでも大絶賛の嵐なのでミュージカル映画苦手な方も
チャレンジしてみるのもいいかもしれません。
震え・・・
魂から発せられる歌声・・・
流れる涙・・・
滴り落ちる雨粒・・・
未来のための汗の一滴一滴・・・
喜怒哀楽を伝える表情や瞳孔や鼻孔の動き・・・
これらを"劇"という中で我々観客が目撃するにはどうすれば良いでしょうか。そう、その表情をする役者へ近寄れば良いのです。"舞台"という劇場空間では座席により役者との距離が異なり、後ろの方の座席では当然その表情へ近寄ることはできません。
しかし映画はできるのです。
役者の表情へこれでもかと何度も近寄り、
時にその顔が画面の真ん中へ置かれシンメトリックな画面構成に。
時にその顔は画面の端へ置かれ背景はぼかされるシャロウフォーカスな画面構成となる。
これはトム・フーパー監督の前作『英国王のスピーチ』で行われた演出です。
その演出は今作『レ・ミゼラブル』において前作を遥かに超える感情を伝える演出として見事に機能したのです。概ね大絶賛に包まれている本作において
いささか難点や高評価ながら小さな指摘ともなっている顔のアップ画の多様は、
冒頭に書いた"震え"、"歌声"、"涙"、”雨"、"汗"、”表情"、"瞳孔"、"鼻孔"
などをこれでもかと伝えてくれるのです。
その積み重なねは彼らの思いや願いとして
私達の心へ気づくと染みこんで最後は涙へ変わり私達の心から溢れ出てくるのです。
舞台版のラストを私は知っている状態で今回鑑賞しました。
「映画化するとラストはああなるのか・・・」
涙するしか無いラストを迎え、劇場は涙で包まれていましたが、
涙すると同時に私は心の中で拍手をしたフィナーレでした。
□ジャン・バルジャンの歌は手段ではなく、神への問いかけであり自問自答である
私は本作を舞台との比較よりもトム・フーパー監督の『英国王のスピーチ』の比較という視点で見ているので舞台や原作『レ・ミゼラブル』と比べての云々は今回言及しません。というよりそこまで細かく今までの『レ・ミゼラブル』を探求していないのです。
今作をミュージカル映画だと知って見てるので、歌でストーリーを進めることには何の違和感も感じませんでした。しかし本作を見ながらすぐに感じたことがありました。
今作の主人公、ヒュー・ジャックマン演じるジャン・バルジャンが劇中で歌うのは映画のストーリーを進める手段ではなかったのです。その歌の1つ1つは"神"への問いかけであり、その問いかけを通しての自問自答なのです。
「私は誰だ?」
「私は何をしたのだ?」
「私はどうすべきか?」
ただの自問自答ではなく、神への問いかけであり自問自答であるのです。
だからこそ本作のジャン・バルジャンのラストシーンはあの場所になるのです。
ちなみに彼が神へ問いかけるのは決して神頼みをしているわけではないのです。
「◯◯になりますように」という頼みではないのです。
神へ問いかけ、天から見守っているであろう神の前で正しき自分であろうとしているのです。
中盤で出頭すべきかこのままいるべきかを自問自答するシーン。
ここは俗にいう究極の選択なわけですが、ここの歌う理由も当然
神の前で正しくあり、そして正直な道へ進もうとするための自問自答なのです。
キリスト教に関してに知識や認識は人それぞれでしょう。
しかし細かいことは置いておいて、その"神への問いかけ"であり"自問自答”
ということを意識して映画を鑑賞することで映画の深みを味わうことができるでしょう。
是非頭の片隅へ入れて鑑賞してみてほしいと思います。
□見事なキャスティング!これが無ければ傑作には成り得なかった!
150年にも渡り愛されている『レ・ミゼラブル』。舞台と比較されることを避けて通れません。本作は賛否出つつも完全に賛辞優勢なので素晴らしい仕事を成されたと思います。それは監督やプロデューサーの手腕があってこその結果なわけですが、
やはりどんなに良い演出をしてもミスキャストでは傑作は生まれなかったでしょう。
ヒュー・ジャックマン、ラッセル・クロウという二大オーストラリア俳優が演じたジャン・バルジャンとジャベール。ヒュー・ジャックマンの歌声はアカデミー賞の司会をした時などでお墨付きでした。
結果としても見事な演技と歌声だったと思います。
太い声というよりも透き通る声がまたいいんですよね。
生歌収録だからこそマッチしたキャスティングだなとも思いました。
ラッセル・クロウですが、キャスティング発表された時凄く不安になりました(笑)
だってラッセル・クロウですよ?wラッセル・クロウが歌うんですよ?
と思ってキャスティング時に調べたらオーストラリアでCD出してたんですね(笑)
ヒュー・ジャックマンと比較した際にラッセル・クロウの方が声が太いので
追う側追われる側の声の分別がついてとても良かったです。
個々ではなく二人セットと考えたキャスティングが見事だなと思いました。
そしてアン・ハサウェイ。とんでもなく素晴らしいです。
特に予告編やCMでも流れている"I dreamed a dream"の歌声…
圧巻の一言で気づいたら涙が流れていたほどです。
マリウスを演じたエディ・レッドメインとアンジョルラスを演じたアーロン・トヴェイトの少年コンビがまたこれいいんですよ。マリウスの揺れ動く心や葛藤そして悲しみ・苦悩が見事に感じられましたし、アンジョルラスの真っ直ぐ未来を見据える熱い気持ちも見事な演技でした。また革命の学生グループにいたガブローシュを演じた子役ダニエル・ハトルストーン、彼もまた素晴らしかったです。
そしてやはり歌声なら断トツのアマンダ・セイフライド。あの透き通る声は素晴らしいの一言。さっきから素晴らしいしか言ってませんね、すいません(笑)
しかし、それらを超えて私が完全にノックアウトされたのはエポニーヌ役のサマンサ・バークスです。舞台版からそのままキャスティングされたサマンサですが本当にお見事。
彼女の歌う"On my own"で一気に涙腺がゆるみ涙が溢れました。
"On my own"の歌に合わせた予告編があったのでここに貼っときます。
□勇気を胸に、今日を生き明日を夢見る
『レ・ミゼラブル』は勇気に満ちあふれている映画です。その勇気を2時間38分感じることは生きる糧となり、明日への希望を与えてくれるのです。
ジャン・バルジャンというイエスキリストのような主人公。
そして正義を貫きながらも孤独を背負っていたジャベール。
子供のために自らを犠牲にしたファンテーヌ。
また自らの気持ちを抑制して愛する人の幸せを願ったエポニーヌ。
愛を誓ったマリウスとコゼット、そして民衆・・・。
人の行い1つ1つに無駄はないのです。
今日を生き、明日を生き、その積み重ねは自らに人生だけでなく、
後世が生きる世界を作り上げることでもあるのです。
『英国王のスピーチ』は御行儀よくフレッシュな傑作でしたが、本作『レ・ミゼラブル』はとても熱い熱い大傑作でした。トム・フーパー監督は本当に天才です。次回作も当然期待します。
大傑作『レ・ミゼラブル』。
長々と文章書かせて頂きましたが、本当にお勧めです。