構造解説と結末の基本的解釈【『インセプション』徹底考察】 その2 - Cinema A La Carte

構造解説と結末の基本的解釈【『インセプション』徹底考察】 その2

『ダークナイト』シリーズについては相当な文量で解説してきましたが、同じくクリストファー・ノーラン監督の『インセプション』に関してはノータッチだったのでこの辺で考察を始めたいと思います。

今回の記事は構造の解説と基本的解釈についてです。



◯構造の解説
『インセプション』の構造は以下のようになっています。

「1:現実」
「2:夢の中」
「3:夢の中の夢」
「4:夢の中の夢の中の夢」
「5:その奥にある形のない虚無の世界」




参考画像


どんどん掘り下げられていくストーリー展開、それらが1つずつ説明されるのではなく、圧巻の編集で同時に進んでいくのです。

しかしそれは最初から同時進行で混乱させるなんてことはありません。丁寧に説明されていく中で最後の盛り上がりとしてうまく使われるのです。車が落ちてるシーンから、無重力、雪山、そして雪山の中の病院のシーンだったり、外だったり、そこから虚無の世界、、また車が落ちるシーン。

一体クリストファー・ノーランの頭の中はどうなってるのでしょうかw

これらを同時再生させた神動画があるのでご紹介します。
映画の後半1時間半は現実時間だとこんなに短いわけであります。



◯さあラストはどっち?
そんな2時間半の映画の旅のラストシーン。本作をご覧になられた方なら誰しもが語り合いたくなるにやにやのラストです。様々な解釈があると思いますが、それを語らせること自体がクリストファー・ノーランが仕掛けた私たちへの『インセプション』なのかもしれません。

最後の答えは"明確には"どちらかは決まってません。

決まってたらあんな終わらせ方しません。


よって「あとは観客へお任せ」というのが監督のスタンスです。



私独自の解釈は相当ぶっ飛んでるのでまた別記事で(笑)


まずは基本的な解釈をまとめたいと思います。
『サイトーはコブが仕事に成功するか確かめるために一緒に夢の中へいった。サイトーは病院で意識を失い虚無に落ちる。よってサイトーはコブのミッションの最後を見ていない。』これで解釈すると結末は、、、、

サイトーは最後見てないのに電話かけますかね?
そう考えるとラストは夢のように思えます。

しかし!!コブは最後機内でサイトーに力強い視線を送っています。これが台詞代わりの「ミッション完了」という意思伝達だと逆の解釈もできます。といったように予想はできても確実にどっちかはわからないのです。

教授を演じたマイケル・ケインがインタビューで駒は倒れるという趣旨の発言をされており、これをそのまま信じこめば「最後は現実でハッピーエンド」となります。教授の役は現実の世界の役なので最後にまた登場する=そこは現実という解釈ですね。

しかしマイケル・ケインだけがこの発言をされているのが気になりますね(笑)俳優としての脚本解釈なのは製作チームでの共通の意思見解なのかが見えないので。


現実ですかね?でもやはりサイトーはミッション見ていない…うむ・・・


このように基本的解釈をしても夢か現実か答えは出ないのです。

それが答えになります。

"どっちかわからない。"

これが答えです。


ただし、確実に言えることはコブにとっての現実がラストシーンであるということ。

これが結末の落とし所でしょう。

彼の潜在意識にはモルが住みつき、いつまでも"トラウマ"を拭えないでいました。しかし映画の最後で夢だろうが現実だろうが、"トラウマ"を克服し、そこが現実であると捉えたのです。だからこそ今まで見なかった子供の顔を最後に見れたのです。

現実なら本当に成長した子供、夢であれば想像の中での成長した子供です。映画の中盤モンバサのシーンで「彼らにとって夢が現実」というシーンがあります。夢のままであってもコブにとっては現実がそれであり、現実ならちゃんとしたハッピーエンドなのです。

駒はぐらつきました。あっさり倒れてハッピーエンドかもしれません。もしかしたら永遠にぐらつきながら回り続けるかもしれません。しかし、これはどっちでもいいのです。コブの"トラウマ"は拭われたのです。なのでモルの呪縛も解けたことでしょう。

"トラウマ"は拭えた。それが現実だろうが夢だろうが。

これが本作の落とし所です。あくまでも私見ですが色々考えた結果。繰り返しになりますが「夢か現実か」を観客へ確実に解釈させたいのなら、駒が揺れずに回り続けるか、ちゃんと倒れるかの描写をしていたはずです。そこを絶妙なタイミングで終わらせてる以上、観客にその解釈を委ねているのでしょう。

クリストファー・ノーラン監督の映画はトラウマについての描写が多いです。バットマンシリーズではコウモリそのものがトラウマから入ってますしね。『インソムニア』でも刑事が過去のトラウマと戦っていました。『プレステージ』でもそう、『メメント』でもそうでした。『フォロウィング』も。

本作における"トラウマ"はモル。モルはラテン語で悪を意味するそうです。深い。コブが劇中で指輪を付けているシーンとそうでないシーンがありますが、これは夢か現実かの尺度であるかもしれませんが、同時にモルの呪縛の元にあるかそうでないかという印にもなってます。

また、最初に出てきた子供の服装と最後の子供の服装、男の子の服装が数年経過してるのにそっくりです。この辺りも夢か現実か解釈が分かれるところでしょう。

「夢か現実か」

それが議論されることが多い本作ですが、実際分かるのはノーラン監督だけです。しかしそれで良いのです。

あくまでも

"トラウマ"は拭えた。それが現実だろうが夢だろうか。


なのです。




そして夢か現実かでなく、その先にある"トラウマ"を軸としたドラマこそが本作の魅力なのではないかと思います。本作はアクション映画、心理サスペンスとしても面白く、存分に満足感を覚えましたが、同時に人間とは何を考え、そして相手に何を求め、夢に何を求め、現実をどう思っているのだろう?という答えが出ずともとても深いメッセージを心に刻まれた気がしました。

"トラウマ"と向きあうか、都合よく処理するか、克服できるのか?それも本作から自分自身の人生というストーリーに照らし合わせて色々考えさせられますね。今こうやってブログを書いている自分は現実なのだろうか、頭の中では『インセプション』の映像が浮かんでいる、その頭の中の中では・・・「思考」に対する意識を植えつけられましたね、私は本作で。きっとこれからの生きる道でもこの映画は影響を与えていくことでしょう。


さて、基本的解釈はこのようになります。
夢か現実かわかりませんが、主人公の心はしっかりと落とし所を持っているのです。

とは言ってもどっちか気になりますよね?(笑)